最近、やっと人間らしくなったなぁと肯定的に感じられるようになりました。
勿論、様々な問題はあるのですが。
まず、そうめんダイエットが成功しつつあります。
今年の9月で80kgを超えていたウェイトが、
今日現在70kg代前半で安定(停滞)しています。
「今こそふんばるときだぁ!(笑)」
でも、今日はお菓子バリバリ食べましたけどね。
このダイエットのミソは二つあるんです。
一つは食べるときは食べる。
そうすると必要以上に食べたくなくなるんです。
そして食べたくないときに、ちょっとずつ量を減らしていく。
その、減らした量を3日間耐えてみる。
3日目が一番きついですが、
それを越えると次の日の朝から食欲が収まっているのに気がつきます。
そして二つ目は、(これが一番大事)
ズバリ「ありのままの自分を認めてくれる人」を見つけること。
恋人でなくても、尊敬できる人でも何でもいいです。
とにかく、自分が「この人が好き!」って思えて、
その人からも、「大事にされてる」と感じることです。
傷ついた心は、飢えているのと同じことで、
その渇きをありとあらゆる方法で潤そうとします。
それが食べ物だったり、人だったり、嗜好品だったり
自分の「悩み」につながることと直結していることがあります。
それを解消するには、私の経験の知る限り
「傷ついた対象でしか克服ができない」と思うのです。
この「対象」というのは、
「人」で傷ついたりつまづいたりした人は、
「人」で癒され導かれ立ち直る。
そういう意味で言っています。
たとえば、過去にAさんという人がいて、
その人に自分が傷つけられたとしましょう。
Aさんと直接わかりあうことも、理解しあえることも、
出来れば良しに越したことはないと思います。
が、Aさんと交流しあえない場合もあると思います。
しかし、Bさんという別の人が「自分」を認めてくれた。
「こころ」の中にまさに届いたと感じた時に、
傷跡は残っていても、疼きが残っていたとしても、
その傷をなぜることができるように
いつの日か いつの日か
年月を重ね、なると思うのです。きっと。
「人によって受けた傷は人によって癒される」まさにそういうことだと思います。
まだまだ、青二才の若輩者なので偉そうなことを言ってしまい申し訳ありません。
ちなみに、この「人によって~」自体は本を読むと結構出てくる言葉ですが、
私は全然信じてませんでした。
でも、病気になってから様々な人と繋がりを持つことが出来て、
共感した人や、感銘を受けた人、
そして今なら理解できる沢山の「差しのべられた手」の存在があった事実。
きっと今、こころに届いた人の存在があるのは
背後に沢山の素敵な人たちがともにいるからだと思うのです。
いつも、見守っていてくれてありがとう。
これからも、ヘタレながら頑張ります。でもほどほどに。笑
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