「自信なんて、無くて当たり前だ。
若いうちは。
自信はもともと無いものだ。」
かつて勤め人だったときに、教えてもらった
衝撃的な、言葉です。
当時のわたしは、拒絶しました。
今も、くびをすこし、ひねりますが。
自信について、私が、思い描いていた(る)ことは
おそらく、ひとを、
上から下に押さえつけるような
「圧迫」に近しいものだと、思います。
もしかしたら、
自信→自分を「しんじる」というのは
「何か」でなく「在る」なのかな、と。
頭をよぎりました。
創り上げる
磨きあげるというのは、手段のひとつで。
素地である、じぶん。
あるいは、ここにある、じぶん。
在るものだから、是が非は問えないし(選べないし)
だからこそ、
人と比べて
もがくことも、あるけど。
造られた「しんじる」は、
どんなに輝いていても、どこかに脆さがある。
こころぼそさを合わせ持っているような気がします。
あるものを「しんじる」は、
自分の描く輝き方で無くても、どこか変わりにくい。
つよさのひとつを合わせ持っているような気もします。
・・・浅はかやも、しれませんが。
すくなくとも、現時点では。
自信、無くて当たり前。そう、断言は
未だしたくないです。
でも、
自信はもともと無いもの。ということは
人と関わって、「知って」いくことでもあるのだと、
結語を結べるのであれば。
この言葉、前よりすこし、好きになりました。
ガチガチですけどね。汗
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